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 特集・研究
 目次
●今月のルポ研究●

 第1回 「ルポルタージュの定義」〜中日新聞「新貧乏物語」記事捏造事件〜
 第2回 「貧すれば鈍する」を地で行く今のアメリカを映し出したルポ
              〜「トランプ王国」を行く 朝日新聞デジタル〜
 第3回 人気週刊誌の巻頭を飾った「潜入ルポ」はルポルタージュの復権に貢献するか
              〜『週刊文春』ユニクロ潜入ルポ〜
 第4回 「囲碁観戦記」は、正統派のルポルタージュだった
              〜朝日新聞「第42期名人戦挑戦者決定リーグ戦第1局 観戦記」〜
 第5回 「世界を股にかけた」という形容詞がまさに相応しいスケールの、壮大な映像ルポルタージュ
              〜『日本と再生――光と風のギガワット作戦』(監督・河合弘之)〜
 第6回 「テレビ局の内実」をテレビ番組がルポした
              「オワコン」テレビ再生のための処方箋
              〜「さよならテレビ」(東海テレビ CX系列)〜
 第7回 NHK「BS1スペシャル」はなぜ「東京五輪反対デモに参加するとおカネがもらえる」と報じたのか
             


●今月のルポ研究●
 「今月のルポ研究」では、皆様にぜひ読んでいただきたいルポルタージュを紹介しつつ、ルポの持つ魅力をお伝えしております。
 ご意見・ご感想をこちらまでお寄せください。i.n.f.o@rupoken.com


2022年2月1日
今月のルポ研究 第7回
NHK「BS1スペシャル」はなぜ「東京五輪反対デモに参加するとおカネがもらえる」と報じたのか

五輪反対デモはいかがわしいもの
として報じるNHK


 昨年12月26日にNHKのBS1で放送された番組「河瀬直美が見つめた東京五輪」で、事実でない字幕(テロップ。キャプション)が付けられていた問題。同番組を制作したNHK大阪拠点放送局は「字幕の一部に、不確かな内容がありました」と不備を全面的に認め、関係者と視聴者に謝罪した。
 問題となったのは、東京五輪の公式記録映画の総監督である河瀬直美氏(映画監督)から撮影のサポートを依頼された島田角栄氏(映画監督)が、匿名の男性をインタビューしている場面につけられていた、
「五輪反対デモに参加しているという男性」
「実はお金をもらって動員されていると打ち明けた」
 という字幕。これを素直に読む限り、男性はどこかからお金をもらって五輪反対デモに動員されている、という意味にしか受け取れない。しかし、事実はそうでなかったのだという。この男性が五輪反対デモに参加し、お金をもらったという裏付けが取れなかったからだ。つまり誤報だった。
 言うまでもなく、おカネをもらって五輪反対デモに参加したとしても、法律違反ではないし、罰せられるいわれもない。労働組合等の組織が動員をかけ、一部の参加者に対して交通費等の名目でおカネが渡されることなど、いくらでも例がある。
 さらに言えば、どこかの組織からおカネをもらって五輪反対デモに参加した人がいたと報じることも、事実である限り、ドキュメンタリー番組としてとりたてて問題視されることはない。ただし、東京五輪の招致キャンペーンや、開催を歓迎&宣伝する大キャンペーンには、数百億から数千億円規模の大金が注ぎ込まれていたことと比べれば、五輪反対デモへの動員費≠ネど取るに足らないものだろう。少なくとも、税金からの支出ではありえない。
 では、同番組で五輪反対デモ動員費≠報じることで、何を伝えたかったのか。そして、それを伝えるに当たって何を誤ったのか。
 残念なことに、NHKは情報を小出しにしかしていないので、コトの全容はBPO等の第三者機関による調査結果を待ちたいが、NHKの釈明などから現時点で判明している事実関係をもとに、筆者の専門である「ルポルタージュ」(現場報告)の視点から検証してみたい。

男性へのインタビューの発端は
「内部告発」なのか否か


 訓練され、平均的なスキルとキャリアを持ち合わせたジャーナリストであれば、五輪反対デモ動員費≠フ話を耳にし、つけた字幕のように報じるなら少なくとも、そのデモに動員をかけている組織は何という名前の団体であり、その動員費≠ェ具体的に1回いくらなのかくらいは条件反射的に確認する。たとえその情報を字幕では明かさないとしても、だ。そこが「インターネットで流布する噂話」と「報道」の差でもある。
 そもそもこの男性が、誰によってカメラの前まで連れて来られたのかも、まだ明かされていない。東京五輪の公式記録映画やNHKの番組制作には、コーディネーターやデータマンが介在しており、そうしたスタッフが男性を連れてきたのか。それとも、東京五輪の公式記録映画のスタッフかNHKに対し、この男性自身からタレコミがあったのか。
 こうした内部告発ネタ≠ナよくあるのは、デモに参加していた当事者とデモの現場で知り合い、その後、日を改めてその当事者から告発情報を得る――というパターンだ。そうであれば、動員費≠フ話自体が口から出任せでない限り、男性に問題意識があってこその告発だと考えられる。

会見で嘘を小出しに?

 では、実際はどうだったのか。NHKの説明や新聞各紙の報道をもとに整理すると、概ね次のような話になる。

・問題の字幕が流れたシーンの後、同番組内で男性は
「デモは全部上の人がやるから、書いたやつを言ったあとに言うだけだから」
「それは予定表をもらっているから、それを見て行くだけ」
 と話していた。直前の字幕と合わせれば、五輪反対デモについての証言としか受け取りようのない番組構成だった。

・しかし男性は撮影当時、
「過去に複数のデモに参加したことがあり、金銭を受け取ったことがある」
「今後、五輪反対デモにも参加しようと考えている」
 と話していた。つまり、五輪反対デモに参加して金銭を受け取っていたことを内部告発≠キるものではなかった。

・このシーンの撮影時、男性をインタビューしていた映画監督の島田角栄氏は、字幕問題発覚後に、
「『五輪のデモに参加した』という趣旨の発言は無かったにもかかわらず、オンエアされたテロップを見てたいへん驚いた」
 とコメント。さらに島田氏は1月20日、NHKに対し、
「昨日(1月19日)NHKの定例会見があり、BS1スペシャル『河瀬直美が見つめた東京五輪』における不適切字幕問題に関する質疑応答において、『プロデューサーから真偽の確認をするよう指示を受けたディレクターが、男性がデモに参加する予定があると話した事を島田に確認し、それを報告した』という主旨の説明がされました。
 しかし、以前より申し上げている様に、これは島田が取材した事実と異なります。かつ、放送前に担当ディレクターからの事前確認はありませんでした。また、会見で発せられた内容について、NHKから事前に島田に事実確認がされることもありませんでした」(丸カッコ内は筆者の補足)
 と抗議。「大変憤慨しております」として訂正を求めた。

 本稿執筆中の1月22日時点で明らかになっているのは、こんなところまでである。
 島田氏も触れている1月19日の「NHKの定例会見」でNHKは、問題となった「字幕」は試写の段階ですでに入れられており、試写を見た番組プロデューサーは担当ディレクターに対し、字幕の表記が事実で間違いないか確認するよう指示していたと説明。だがディレクターは、男性本人ではなく島田氏に確認したことでプロデューサーに「確認した」と報告した、としていた。しかし島田氏は、放送前にディレクターからの事前確認などなかった――というのである。
 もし島田氏に対し、放送前に字幕の表記が問題ないか確認していれば、事実誤認の字幕がそのままオンエアされることを未然に防げた可能性が高い。むしろ、ディレクターが確認作業を怠ることに何の恐れも抱かずにいたのであれば、放送前に試写をする意味がなくなる。果たしてこのディレクター氏は、報道やドキュメンタリーに関わる者として適任なのだろうか。
 NHKは情報を小出しにするだけでなく、嘘も小出しにしているかのようだ。NHKは「島田監督には何ら責任はなく、責任はすべてNHKにあります」とする一方で、実際は責任の一端を島田氏にかぶせ、島田氏のさらなる怒りを買っている。
 NHKによる説明の信用性が、大いに疑われ始めている。

NHKディレクターはなぜ
「そう思い込んでしまった」のか


 NHKの説明では、島田氏は河瀬氏からの依頼で、五輪反対を訴える市民らを取材していたのだという。筆者の自宅や実家では現在、残念ながらBS放送を見ることができず、報道やネットを通じての伝聞でしか番組内容の詳細を知ることができないのだが、各紙報道によれば同番組には島田氏が、河瀬氏に取材テープを見せるシーンがあるのだという。しかしそのテープには、問題の男性を取材していたシーンは含まれていなかったとされる。
 なぜ島田氏はNHKディレクターの判断とは正反対に、男性へのインタビューシーンをカットしたのか。迂闊に乗れない、もしくは「五輪に反対している人」として相応しくないと判断したからではないのか。どれだけ興味深い話であろうと、事実の裏付けが取れなければ、そのシーンは丸ごと割愛するのが、ドキュメンタリー番組制作の常であり、事実上の掟≠セからだ。
こういう話だったら、もっと面白くなる(あるいはもっとインパクトが増す)のに
 という悪魔の囁き≠ヘ、私たちドキュメンタリーの世界で仕事をする者にとって、日常茶飯事のように脳裏に浮かぶことだ。しかし、その囁き≠ノ負け、ありもしない文言を創作し、字幕にしてしまった時点で、その番組は「ドキュメンタリー」ではなくなる。そして、番組で紹介した人たちや、ケースによっては番組を制作した者自身まで容赦なく傷つけるのである。最悪の場合、問題の番組を制作したNHKのディレクターは報道やドキュメンタリーの世界から追放されるだろう。
 男性が、島田氏には言わなかったことを、NHKのディレクターだけに証言したという可能性も考えてみた。しかしそうであれば、「東京五輪の公式記録映画制作に密着する番組」の中で扱うべき話ではなくなる。別仕立ての番組やニュースの中で、じっくり検証すればいいのである。こうしたことも、いずれBPO等の第三者機関による調査で明らかになることを期待したい。
 NHKは問題発覚当初、
「制作担当者の思い違いや取材不足が原因」
「制作担当者が、男性が五輪反対デモに参加したと思い込み、事実関係の確認が不十分なまま字幕をつけた」
 と説明していた。しかし「思い違い」や「思い込み」では、なぜそうした字幕をつけるに至ったのかという動機や原因の説明にはならない。NHKには「なぜそう思い込んでしまい、確認作業さえも怠ったのか」を説明する必要と責任がある。
 ここからは筆者の邪推だが、NHKのディレクター氏は字幕の創作を番組上の「演出」と考え、この程度の演出は許容範囲であり、男性は匿名にするし、どうせバレることはないと高を括っていたのではないか――。
 この邪推が、当たっていなければいいと思っている。

「基本」が徹底されず
不祥事を繰り返すNHK


 NHKでは2014年、「クローズアップ現代」(当時)で起きた「過剰演出」事件を受け、すべてのニュースや番組を対象にした「匿名チェックシート」制度を導入。同シートには「なぜ匿名にするのか」「内容の真実性をどう確認したか」などのチェック項目があり、匿名インタビューを使用する可否を含め検討するとした再発防止策を講じていた。
https://www.nhk.or.jp/pr/keiei/cyousaiinkai/index.html
 だが今回の番組では、このチェックシートがなぜか使われていなかった。毎日新聞の報道によると、番組担当者が「この番組はチェックシートの対象外だと思い込んでいた」のだという。
https://mainichi.jp/articles/20220112/k00/00m/040/224000c
 またしても「思い込み」である。まさかNHKは、五輪に反対することや五輪反対デモが悪いことであり、いかがわしいものだと「思い込んで」いたというのか。
 NHKは2015年5月、「『クローズアップ現代』報道に関する調査報告を受けた再発防止策について」と題した文書を公表し、事件を「風化させずに継承することが大切だ」として、
「受信料に支えられている公共放送には高い放送倫理が求められていることを再確認し、放送法や番組基準、放送ガイドラインに掲げられている、事実に基づいて正確に放送するという基本を徹底していく」
 と、高らかに宣言していた。
https://www.nhk.or.jp/pr/keiei/cyousaiinkai/pdf/150529_boushi.pdf
 それから早7年。この時の志は「風化」してしまったようだ。そして公共放送に求められている「事実に基づいて正確に放送するという基本」が徹底されずに、不祥事は繰り返された。
 試写や「匿名チェックシート」制度が意味をなさず、誤報の歯止めや不祥事の再発防止に役立たないとなれば、もはやそれはNHKの番組制作現場における「質の低下」に他ならない。これがコトの真相だとすると、「公共放送」を自任するNHKにとって最も深刻かつ致命的な事態だと思う。


2019年4月15日
今月のルポ研究 第6回
「テレビ局の内実」をテレビ番組がルポした
「オワコン」テレビ再生のための処方箋
~「さよならテレビ」(東海テレビ CX系列)~



※画像は東海テレビ「さよならテレビ」HPより引用

 テレビ局、それも報道番組制作の現場をテレビ番組自身がルポし、現在のテレビ報道が抱える問題点を炙り出すルポルタージュが登場した。東海テレビ(フジテレビ系)の「さよならテレビ」である。
 同番組は東海テレビ開局60周年記念番組として制作され、2018年9月2日(日)16時から17時半までの90分間、放送された。その記念番組のキャッチコピーは、
「お化粧したメディアリテラシーはもういらない。報道の現場にカメラを入れ、『テレビの今』を取材する」
 というもの。視聴すると、キャッチコピーどおりの番組だった。
 以下、同番組のホームページに掲げられた番組宣伝の内容を引用する。

                       *

 長年、メディアの頂点に君臨してきたテレビ。
 しかし、今はかつての勢いはない。インターネットの進展など多メディア時代に突入し、経済的なバックボーンである広告収入は伸び悩んでいる。
 さらに、プライバシーと個人主義が最大化して、取材環境が大きく変化し、現場の手間は増える一方だ。
 「第4の権力」と呼ばれた時代から、いつしか「マスゴミ」などと非難の対象となり、あたかも、テレビは、嫌われ者の一角に引き摺り下ろされてしまったようだ。
 果たして、テレビは本当に叩かれるべき存在なのだろうか。
 「偏向報道」「印象操作」は、行われているのか。
 現場は何に悩み、何に奮闘し、日々どんな決断を迫られているのか。
 テレビの存在意義、そして役割とは一体何なのか。
 そして、テレビがこれから生き残っていくためには何が必要なのか。
 お化粧したメディアリテラシーはもういらない。
 報道の現場にカメラを入れ、「テレビの今」を取材する。
(東海テレビホームページより)
http://tokai-tv.com/sayonara/

                       *

 ルポ――現場報告――がその本領を発揮するのは、解決策がわからない時である。解決策を探し出したい、あるいは編み出したいという明確な意図があってはじめて、ルポは最大限の威力と効果を発揮する。ただルポするというだけでは何の意味もなく、ルポの無駄遣いでしかない。
 では、なぜ東海テレビは自らの報道番組制作現場をルポし、放送するに至ったのか。テレビは今、制作現場にいる人々の自浄努力だけでは、もはやどうにもならないところにまで来てしまっているとの自覚と問題意識が、同番組の制作者らにあったから――としか考えられない。
 袋小路に迷い込んだ感のあるテレビが今、抱えている問題を、まずは「自画像」として自局の同僚たちに見せ、それにとどまらず、他局の番組制作者や視聴者にも見てもらい、皆で問題意識を共有し、番組への意見や感想を求めつつ、ともに出口(=解決策)を導き出していこうと考える――。
 そうでないのなら、わざわざ放送する必要はないのである。大手新聞社が、たまに社内報で自社の問題点を記事≠ニして書いたりすることがあるが、それと同様に、社内向けの検証番組≠ノとどめておけばよかった。見方を変えれば、今のテレビ報道の現場はそこまで深刻なのだ、ということなのだろう。
 ルポ「さよならテレビ」は、今の報道番組制作現場のダメなところを、これでもかこれでもかというくらいに映し出していく。テレビが今後どうすればいいのかという答えは、すべてこのルポ番組の中にあると言っても過言ではあるまい。映し出された「ダメなところ」を改めればいいのである。あとは、観た人たちがどうするか次第で、テレビの未来は変わる。
 「さよならテレビ」は、テレビは今のままではいけない∞変われ≠ニ言い続ける。見てもわからない人は置いてきぼりになろうと構わないという潔さが心地よいほどである。そこが、単に自虐的に自社の内幕を描いたり、内部告発的に自社を揶揄しようとしたりする番組とは一線を画しているところだ。
 番組に登場するシーンを事細かに紹介している記事は他にもあるので、最後にそのURLを紹介することでお許しいただきたいが、特に私の印象に残ったシーンを2つだけ紹介したい。

                       *

【シーン♯1】
 局の社員ではない外部スタッフのベテラン記者(49歳)が、ニュース番組で「共謀罪」法案の特集を担当することになった。彼は、NHKが同法案を「テロ等準備罪」と呼ぶ一方、民放他局の中には「共謀罪」と呼んでいる局があることについて、「さよならテレビ」のカメラに向かってこう語っていた。
「共謀罪という言葉を使わないメディアは、批判する気が全くないという。権力の監視よりも、権力を支えるほうを選んでいるっていうことですよね。恥ずかしいけど」
 だからベテラン記者氏は、特集のナレーション原稿に「共謀罪」と書いた。するとデスクから「テロ等準備罪」と直されてしまう。ベテラン記者氏は「さよならテレビ」のカメラに原稿を見せながら、
「ここを直していただいたんですけど」
 と、恥ずかしそうに呟く。
 そして放送後の番組反省会。報道局長(入社32年目)が報道局のスタッフに対し、
「共謀罪ね、国会で強行採決という形で成立してしまいましたが、我々メディアにとっても大変影響の大きい法律だと思います」
 と、白々しく語るのである。その話を、ベテラン記者氏は憮然とした表情で聞いている。身内と語る際には「共謀罪」と言い、放送では「テロ等準備罪」とわざわざ言い換える。そんなダブルスタンダードの現実を、「さよならテレビ」のカメラは記録していた。

【シーン♯2】
 「働き方改革」のため、残業時間を減らさないと労働基準監督署から目をつけられ、ペナルティを科せられるのはテレビ局も一緒だ。そこで、人材不足を補うべく制作会社から派遣されてきたのが、職歴2年という24歳の新人ディレクター氏。街頭インタビューもうまくできない。いわゆる「食レポ」も下手くそ。さらにはミスも連発し、デスクから叱られる日々。それでも笑みを浮かべながら苦闘している。だが、1年で派遣切りされることに。
 「さよならテレビ」には、視聴率が振るわず、1年で降板させられる男性キャスター(入社16年目)も、メインキャストの一人として登場する。そのキャスターが、猫の殺処分の現状を伝えるニュースの中で、
「弱いものを守る世の中であって欲しいですね」
 とコメントするのだが、そのオンエアをサブマスターで見つめていたのが、クビが決まったばかりの新人ディレクター氏。いつも笑みを浮かべていた彼は、その時ばかりは素の表情だった。

                       *

 「よくこれを放送できたものだ」などと評論している記事をネット上で見かけるが、そんな問題ではない。悠長に構えていられる状況にはないことを自覚しているからこそ、東海テレビは「さよならテレビ」を制作し、放送したのだろう。
 ちなみに、番組プロデューサーの阿武野勝彦氏(入社36年目)が「文春オンライン」のインタビューに語っていたところによると、「さよならテレビ」の「さよなら」とは、これまでのテレビに「さよなら」をすることなのだそうだ。
 ところで、東海テレビは優れたドキュメンタリー番組を映画化していることでも知られる。前出の「文春オンライン」インタビュー記事によれば、これまでに10本のドキュメンタリー番組が映画化され、中には25万人もの観客を動員したもの(『人生フルーツ』)まであるのだという。興行としても大成功を収めているのだ。
 となれば、「さよならテレビ」が映画館で上映されるようになることを期待するしかない。それまでの間は、以下に紹介する記事でその概要をつかんでほしい。


・「業界騒然! 東海地方限定番組「さよならテレビ」は何がすごいのか?」
https://bunshun.jp/articles/-/9624

・賛否両論 東海テレビ「さよならテレビ」プロデューサーが語った「さよならの本当の意味」
https://bunshun.jp/articles/-/9917

・「さよならテレビ」東海テレビのドキュメンタリーが描く”矛盾”
https://www.huffingtonpost.jp/2018/10/10/goodbye-tv_a_23557398/

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2017年6月23日
第5回 「世界を股にかけた」という形容詞がまさに相応しいスケールの、壮大な映像ルポルタージュ
〜『日本と再生――光と風のギガワット作戦』(監督・河合弘之)〜


 脱原発市民運動の旗手として知られる弁護士で映画監督の河合弘之氏の新作『日本と再生――光と風のギガワット作戦』を鑑賞して、驚いた。「世界を股にかけた」という形容詞がまさに相応しいスケールの、壮大な映像ルポルタージュだったからだ。
 本作品の撮影で河合監督が訪ね歩いた国は、デンマークを皮切りに、ドイツ、南アフリカ、アメリカ、アラブ首長国連邦、アイスランド、中国の7カ国。さらには日本でも、北は北海道から南は九州まで駆け巡っている。今の時代、報道機関の取材でもなかなかできる(=させてもらえる)ことではない。
 そうした取材の結果、この映画がたどり着いた結論は、
「日本が世界から取り残されないために今、やるべきことは、自然エネルギーを正しく理解し、戦略的に推進する」
 ということだった。
 明石は1998年、「環境ホルモン」をテーマに、それこそ地球を2周するくらい飛行機に乗りまくって世界各国を取材したことがあったのだが、その時のことを思い出した。その取材の結果、お膝元の日本国内で起きていた「カネミ油症」事件に辿り着いたのだが、拙著『黒い赤ちゃん』(講談社、2002年)や、2007年の日本テレビ「NNNドキュメント」で放送した「覚めない悪夢 カネミ油症39年の空白」などは、その海外取材をきっかけとしてつくったものである。

 実際、現地に行ってみなければわからないことなど、山ほどある。政治家がしたり顔で語っているウソを、ルポルタージュがいとも簡単に暴いてしまうことも、よくある。
 例えば2015年、国会で「安全保障法制」の論戦が繰り広げられていた頃、安倍晋三首相は中東・ホルムズ海峡で集団的自衛権を行使し、機雷掃海を行なう可能性に言及した。そのさなか、『朝日新聞』はホルムズ海峡の現地取材を敢行。アラビア半島オマーン北端の漁村クムザや、イルカウォッチングなどの観光業で栄え、帆船を模した観光船が並ぶ港湾都市ハサブの穏やかな日常をルポし、安倍氏の言う「仮想敵国」イランがホルムズ海峡を機雷で封鎖することがいかに非現実的であるかを、日本人に伝えた(『朝日新聞』2015年6月21日「現場から考える 安全保障法制 ホルムズ、恵みの海峡」)。
 翌年の2016年。南スーダンを現地視察した稲田朋美防衛相が、
「(治安が)落ち着いていることを見ることができ、関係者からもそういう風に聞くことができた」
 と説明し、現地の治安が安定していることを強調した。
 だが、稲田防衛相が南スーダンを視察する直前に同国の首都ジュバを取材した『朝日新聞』の南スーダン特派員は、自動小銃の銃口を外側に向けた兵士を満載した南スーダン政府軍の軍用トラックが頻繁に行き交うジュバの模様をルポ。「情勢は比較的安定している」とする日本政府の認識の甘さを浮き彫りにした(『朝日新聞』2016年10月10日「時時刻刻 駆けつけ警護、急ぐ準備 稲田防衛相、治安の安定性強調 南スーダンPKO」)。

 そしてこの映画もまた、
「福島第一原発事故以降に脱原発を決めたドイツは、その裏でフランスの原発が発電した電気に頼っている」
「中国は、福島第一原発事故以降も原発を推進している」
「自然エネルギーは原発に比べてコストが高い」
 などと、報道やインターネットでまことしやかに語られている話のウソを、現地取材で次々と暴いていくのである。

 普段、映画評を書くことはほとんどないのだが、河合監督に敬意を表し、ウェブサイト「ビジネスジャーナル」で映画評を書かせていただいた。URLは以下になる。

https://biz-journal.jp/2017/06/post_19554.html

 こちらもぜひご覧いただきたいし、大変お勧めの映画なので、ぜひ観ていただきたいと思う。
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2017年1月27日
第4回 「囲碁観戦記」は、正統派のルポルタージュだった
〜朝日新聞「第42期名人戦挑戦者決定リーグ戦第1局 観戦記」〜


 明石は囲碁をやらない。それ以前に、よく知らない。
 将棋や五目並べは学生時代、さんざんやった。だが、囲碁はやることがなかった。友人で囲碁をやる者が一人もいなかったからだ。
 それで、囲碁を覚える機会を逸していた。ルールさえ、よくわかっていない。
 そんな明石でも、2017年1月12日の『朝日新聞』に掲載された「第42期名人戦挑戦者決定リーグ戦第1局 観戦記『坂井仰天』」の巻は、短いながらも大変面白く、引き込まれた。正統派のルポルタージュだったからである。

 https://www.asahi.com/igo/meijin/PND42_01_a05.html

 坂井秀至八段(黒)と、井山裕太棋聖(白)の闘いは、臨場感あふれる筆致でレポートされる。

「井山はわずかな隙を見逃さない。白104が手づくりの事始め。そして106が痛烈な一撃だった。坂井は天井を見上げ、文字通り仰天した。やがて『参った。なさけないね。あきれちゃった』と自分をののしり続けた。『まったく見てなかった。一発で仕留められた』という。106の威力、分かっていただけるだろうか」

 ……分からなかった。参りました。ただ、この一文で、今さらながら囲碁を覚えてみようか、と思った。「106の威力」を分かってみたいと思ったからである。
 筆者は「春秋子」さん。フリーランスの囲碁ライターで囲碁観戦記者の、秋山賢司さんのペンネームである。囲碁は全く分からなくても、「春秋子」さんの凄さは分かる。その凄さは、他の新聞に載っている「囲碁観戦記」と読み比べてみれば、すぐに理解できるはずだ。
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2016年12月27日

第3回 人気週刊誌の巻頭を飾った「潜入ルポ」はルポルタージュの復権に貢献するか
〜『週刊文春』ユニクロ潜入ルポ〜


 政界や芸能界の恥部を暴くスクープを連発する『週刊文春』の巻頭に、なんとルポルタージュが掲載された。それも、1回こっきりではなく連載であり、途中から巻頭ではなくなったものの、その連載ルポは現在(2016年12月27日現在)も続いている。衣料品小売の大手「ユニクロ」に、記者が1年間、潜入取材をしたのだという。
 そう聞いて思い出したのは、文藝春秋という出版社は以前、潜入ルポを蔑んでいたことだった。
 ルポライター・鎌田慧さんが1973年に発表したルポ『自動車絶望工場』(講談社文庫)は、季節工としてトヨタ自動車に潜入したルポだ。明石も駆け出しルポライターだった20代の頃、一気に読了した記憶がある。筆一本で食べていくことがまだまだ難しい新米ルポライターにとって、「取材相手の懐に飛び込み、働いて収入を得ながら取材する」という取材方法は、真似したくなるくらい参考になるものであり、実際、こうした取材手法は後輩ルポライター達から「鎌田慧方式」と呼ばれている。
 その先駆的な潜入ルポに対し、文藝春秋は(厳密に言うと、文春本社内に事務局が設けられた「日本文学振興会」が主催し、文春が運営する)「大宅壮一ノンフィクション賞」の候補に挙げながら、落選させていた。その際の「選評」を以下に紹介する。

「『自動車絶望工場』も季節工の克明な生活記録として、きわめて貴重なものと思うが、ルポを目的とする工場潜入とわかってみれば、少なからず興ざめするのはやむをえまい」(臼井吉見氏)
「『自動車絶望工場』=めずらしい素材で、企業の実態について教わること多かったが、ただ取材の仕方がフェアでない」(扇谷正造氏)
※上記の2つの選評は『職業としてのジャーナリスト』(本多勝一著、朝日文庫)からの引用。

 潜入ルポに対して「少なからず興ざめする」し「フェアでない」として大宅賞を与えなかった文藝春秋が、その「フェアでない」手法を踏襲したルポをわざわざ看板週刊誌の巻頭に掲載したのである。大変驚かされた。
 ともあれ、ルポの一形態である「潜入ルポ」を巻頭に掲載することで、結果的に『週刊文春』はルポの復権に大きく貢献したようである。実際、全くルポを読まないような人々が初めてルポを読む機会にもなっているようで、そうした人々の「ユニクロ潜入ルポ」に対する感想が今、ネット上に散見する。それを見る限り、現代人にとって潜入ルポは「少なからず興ざめする」ものではないし、「フェアでない」と感じるものでもないらしい。

ユニクロからの反撃なく、
肩透かし


 『週刊文春』のユニクロ潜入ルポは12月8日号(12月1日発売)から始まり、12月29日号(12月22日発売)に連載の第4回が掲載されている。つまり、連載はまだ終わっていない。
 記事のピークは、第1回掲載号が発売された2日後の12月3日、潜入していた記者(ジャーナリストの横田増生氏)がユニクロ側に特定され、解雇された模様が掲載された第2回(12月15日号。12月8日発売)だろう。第1回(6ページ)と第2回(5ページ)は巻頭記事だったものの、第3回(4ページ)は前から3番目の記事、第4回(3ページ)は後ろから3番目の記事と、回を追うごとに後ろに追いやられ、ページ数も減ってきている。尻すぼみの感は否めない。
 この潜入ルポで特筆すべき点は、記者がユニクロの従業員として潜入するにあたり、自身の名を改名したことだ。
 横田氏は著書『ユニクロ帝国の光と影』(文藝春秋刊)が、ユニクロ側から名誉毀損だとして2億2000万円を損害賠償請求されるスラップ訴訟を起こされていた。裁判で文春側は勝訴したものの、本名のままでは横田氏が従業員として採用されるのは難しいと判断。連載記事中では具体的な改名のやり方は伏せられているものの、
「法律に則って名字を変え、『横田増生』をペンネームとした」
 のだという。しかし、連載が開始されるとすぐユニクロ側にバレ、解雇と相成った。
 連載第1回の最後に「編集部注」として、
「本件取材に関するユニクロの見解、反論は次号以降に掲載します」
 とあることからもわかるように、ユニクロ側から反撃があると見越して連載は始まっていた。だが、横田氏解雇の模様をレポートした第2回では同じく「編集部注」として、
「本誌は、横田氏の解雇理由の確認、本誌記事に対する見解などをファーストリテイリングに求めましたが、『お答えすることはありません』(広報部)との回答でした」
 とあり、それ以降も「反論があれば掲載する」との『週刊文春』編集部側の申し出に対し、ユニクロ側は「お答えすることはありません」との回答を繰り返している。
 期待していたユニクロ側の反論や反撃が載らないせいで、連載も盛り上がりを欠いていく。そのため、回を追うごとにページ数を減らしてきているのだろう。
 ユニクロを辞めてから連載を開始したわけではないところに、週刊文春側の「あざとさ」を感じる。「話題作り」が上手な週刊文春が、敢えて「話題作り」のためにそうしたのかもしれない。が、ユニクロ側はそうした意図を感じ取ったのか、『週刊文春』に対して一切コメントを出していない。
 なぜ、ユニクロを辞めてから連載を開始しなかったのか――。その疑問に対する答えは、まだ連載記事に書かれていない。

潜入ルポに
「クレーム大賞」を授けては?


 明石もかつてはユニクロの上得意だった。衣料品だけでなく、仕事で使うバッグもユニクロで買っていた。ある呑み会で、自分と同じバッグを持った者が数名いて、「それ、ユニクロで買ったんでしょ?」と言い合うほど、ユニクロの商品は広く支持されていた。
 しかし、それまで買い続けていた定番のダンガリーシャツが、突然細身のサイズだけになった。自分の体形に合うサイズのシャツがなくなり、それ以降、ユニクロから足が遠のいていた。でも、15年ほど前にユニクロで買ったダンガリーのシャツは、今も着続けている。それで思い出したのが、ユニクロの「クレームコンテスト」だ。
 ユニクロは1995年、全国紙に「ユニクロの悪口言って100万円」という広告を掲載したことがある。全国からおよそ1万通の応募があり、実際に100万円を支払ったとされる。このクレームコンテストの結果、ユニクロは大幅な顧客サービスの改善に成功したのだという。明石もクレームをつけていれば、今も「定番のダンガリーシャツ」を着続けていたかもしれない。
 ところで『週刊文春』のユニクロ潜入ルポには、実はユニクロにとってまさに耳を傾けるべき指摘も含まれていた。例えば、外国人客に対する英語での対応など、客本位の顧客サービスについてだ。かつてのユニクロであれば、それこそユニクロ潜入ルポに対して「クレーム大賞」を授けていたかもしれない。しかし今のユニクロは、その面影もないほど余裕をなくしているようだ。
 そんなユニクロに対し、『週刊文春』は何をしたかったのか。ユニクロは今や「ブラック企業」だから潰れてしまえばいいということなのか、それとも、かつての「客本位の企業」に戻れということなのか。
 連載ルポはまだ続くようなので、ユニクロにとっても役に立つルポになって完結することを期待したい。
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2016年11月11日
第2回 「貧すれば鈍する」を地で行く今のアメリカを映し出したルポ
〜「トランプ王国」を行く 朝日新聞デジタル〜


 ルポルタージュの一読者として考えた場合、自分の知らない世界を教えてくれたり、謎解きの道しるべとなってくれるのが、魅力的なルポだろう。
 一方、ルポルタージュの書き手としての立場から言うと、「なぜそうなってしまうのか」がわからない時こそ、ルポの出番だ。ある現実に対して大きな謎や疑問がある場合、事実をもとにその正体を解き明かしていくのが、ルポの醍醐味なのである。
 その意味で、朝日新聞が2016年10月末から同社のウェブサイト「朝日新聞デジタル」上で連載していた「『トランプ王国』を行く」(全12回)は、読み物として大変面白いルポであるのと同時に、現在のアメリカが抱える問題をわかりやすく示し、アメリカという国の実態を等身大で理解するのに役立つルポでもあった。
【記事一覧URL】
 https://www.asahi.com/topics/word/「トランプ王国」を行く.html

 筆者の朝日新聞ニューヨーク特派員、金成隆一(かなり・りゅういち)記者は、連載記事の前置きで次のように書いている。

                      *

「異端児」の異名を取り、移民や女性らへの差別的な言動を繰り返すドナルド・トランプ氏(70)が、なぜ、米大統領選の共和党候補として勝ち残り、スポットライトを浴びる主役の一人になったのか? ニューヨークなど大都市を取材しても、トランプ氏を毛嫌いし、笑いものにする人ばかり。
 しかし、共和党の予備選では、トランプ氏が圧倒的な勝利を収めた街がある。今回の大統領選の最大の謎に迫るため、そうした街に向かった。
 山あいの飲み屋、ダイナー(食堂)、床屋、時には自宅にまで上がり込んで、トランプ氏支持者の思いに耳を傾けた。
 そこには普段の取材では見えない、見ていない、もう一つの米国、「トランプ王国」があった。

                      *

 よくわからないから「エイヤ」とばかり現場に飛び込んでしまう、文字どおりの「体当たりルポ」だ。明石も若かった頃、さんざんやった。例えば、こんなシーンが出てくる。
 今年6月、ペンシルベニア州南西部であったトランプ氏の集会を取材していた時、記者が首からぶら下げていた入館証に気付いた女性から、
「(あなたは)ニューヨーク・タイムズ紙の記者なの!」
 と指摘され、吊し上げに遭う。
 トランプ氏のスキャンダル記事を連発してしたニューヨーク・タイムズは、トランプ氏の支持者たちからたいそう嫌われていた。朝日新聞のニューヨーク支局はそんなニューヨーク・タイムズの本社ビルに間借りしており、記者が身に着けていた入館証はニューヨーク・タイムズ本社ビルのものだったのだ。
 その結果、記者の周囲にいた人々が一斉に、
「あなたとは口をききません」
 と言い始めた。取材拒否である。記者は必死に抗弁した。自分はニューヨーク・タイムズとは無関係だ。まったく別の新聞を作っている。私は日本人だ……。いくら言っても信用されず、
「そもそもニューヨーク・タイムズ記者の英語がこんなに下手くそなわけないでしょ!」
 と叫んだところ、
「言われてみれば」
「確かにそうね」
 と、取材に応じてもらえるようになる――。
 こんな調子で連載記事は進む。
 オハイオ州では、飲み屋で3人のトランプ支持者からウイスキーのショットを3杯おごられる。記者は飲み干すほかなく、酔いが回りながら取材する。このエピソードを読んで、明石が20代の駆け出しルポライターだった頃、血気盛んな某県農協青年部の農業者たちを取材した際に、
「この酒を呑んだら話の続きをしてやる」
 と、熱燗を注ぎ続けられ、ベロベロに酔っぱらいながら取材したことを思い出した。せっかく聞いた話を忘れないよう、用をたすふりをしてトイレに駆け込み、急いでノートにメモしたものだ。

資本主義の権化の国を「不景気」が苦しめる

 ルポライターである明石が「ルポすべき対象」であると考えるものは、
1、誰も取材していない出来事(事件)やテーマ
2、多くの記者やメディアが取材しているテーマではあるものの、皆が見落としている大事な視点や切り口がある場合
 のいずれかである。そしてルポ「『トランプ王国』を行く」もまた、日本人記者の誰もが取材していない「トランプ氏の支持者」に焦点を絞り、日本人には理解しがたい「なぜトランプ氏がここまで支持されるのか」という謎を解き明かすことに成功している。ここから先はぜひ「『トランプ王国』を行く」を読んで確認していただきたいが、ざっくり言うと、仕事がない現実や貧困に苦しむ人々がトランプ氏に現状打破を期待し、熱烈に支持していた。いわば下剋上である。ヒラリー・クリントン氏に下剋上は期待できない。資本主義の権化の国を「不景気」が苦しめていた。そして、「貧すれば鈍する」を地で行く今のアメリカを見事に映し出したのが、このルポだった。
 出版不況の昨今、こうした企画を面白がってやらせてくれる雑誌編集者は皆無に等しいと思うが、もし許されるのなら明石もぜひやってみたかったテーマだ。アメリカ大統領選の結果がわかる前にルポしているところに、記者・金成隆一さんの先見の明を感じる。今後、同様のルポを試みたところで「『トランプ王国』を行く」の二番煎じに過ぎず、この連載記事の出来や評価を上回ることは相当困難だろう。実際、この連載ルポを読んでいた明石は、「トランプ大統領誕生」との速報に驚くことはなかった。がっかりはしたけれど。
 ただ、この連載ルポが『朝日新聞』紙上ではなく、朝日新聞デジタルというウェブサイトでしか(しかもデジタル契約をしている読者しか)読めなかったことが悔やまれる。たとえば、トランプ政権がスタートした1年後に、今回のルポに登場した「トランプ氏の支持者」たちを再訪問し、その時の彼らが「トランプ大統領」をどのように評価しているのかをルポしてもらいたいと、読者の一人として願う。そしてその結果を、多くの人が手に取って読めるよう、単行本にしてもらえるとさらにうれしく思う。

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 【一緒にお薦めします】
 同じ朝日新聞記者の本多勝一氏が40年以上前の1970年に書いたルポ『アメリカ合州国』(朝日新聞社)も、あわせて読むことをお薦めします。


2016年11月7日
第1回「ルポルタージュの定義」〜中日新聞「新貧乏物語」記事捏造事件〜

 ルポルタージュ(ルポ)は、個人の責任の下、個人の目線で報道する「最小単位のジャーナリズム」である。したがって、ルポを発表する媒体も、新聞、雑誌、テレビ、単行本と千差万別だ。テレビでのルポ以外、チームプレイや特別なインフラは必ずしも必要ではない。
 一方でルポは、皆さんにとっても大変身近なものでもある。自覚のないままブログやツイッターで「ルポ」を書いている人もきっと多いことだろう。「小学生時代の夏休みの絵日記」や「修学旅行の体験記」や「ラーメン店での実食体験記」も、ウソでなければ皆「ルポ」の範疇に入る。「ルポルタージュ」という言葉には「現地報告」以上の意味はないからだ。言い方を換えれば、その記事に捏造があればルポとは呼べないことになる。

                     *

 中日新聞が今年5月17日朝刊から6回にわたって掲載した連載企画「新貧乏物語 第4部・子どもたちのSOS」は、
「苦しい家計や親の病気、虐待などに子どもの教育が脅かされている。未来への明かりを消さないため、社会に何ができるのか。子どもたちが叫ぶSOSに耳を澄ませる」
 との意図から書かれたルポだった。文章はうまく、いわば「エンターテイメント」としても十分成立しており、読者からは、記事で取り上げられた子どもたちに渡してほしいと、現金や商品券、教材、おもちゃ、食品などの支援が同新聞社まで寄せられたのだという。
 そのルポ「子どもたちのSOS」の第1話と第3話で、いわゆる「やらせ」と「捏造」があったとして、10月30日の中日新聞と東京新聞に検証記事が掲載された。第1話では掲載写真のやらせが、第3話では貧乏であることを強調するため、事実の捏造が行なわれた――とした。
 中日新聞社のホームページで掲載されていた当該記事と写真は、すでに削除されているため、URLをここに挙げることはできない。その代わりとして、姉妹紙『東京新聞』2016年10月12日付朝刊に掲載された「おわび」記事と、『中日新聞』2016年10月30日付朝刊掲載の検証記事から、事件の概要を伝える部分を引用する。

【『東京新聞』2016年10月12日付朝刊に掲載された「おわび」記事より】
 今年六月に掲載した連載「新貧乏物語 子どもたちのSOS」(全六回)のうち一つの記事に、事実ではない誤った記述がありました。外部からの指摘を受けて社内で調査した結果、取材班の記者の一人が事実と異なる取材メモを作成し、それを基に原稿を書いたことが原因だと分かりました。
 誤りがあった記事は、六月二十一日朝刊6面の連載三回目「父親急病 突然の転落」。病気の父親を持つ中学三年生の少女(一四)の話。八月末に関係者から指摘があり、少女のご家族や記者本人の聞き取りなど社内調査を進めた結果、教材費や部活の合宿代も払えない、などとした三カ所の記述が事実でないことを確認しました。記者は「原稿を良くするために想像して書いてしまった」と話しています。

【『中日新聞』2016年10月30日付朝刊掲載の検証記事(https://www.chunichi.co.jp/article/feature/binboustory/list/CK2016103002000032.html)より】
◆取材班と取材経緯 
 連載「新貧乏物語」は年初からスタートし、今年九月までに第6部まで掲載。奨学金の返済に苦しむ若者や年金を受け取れない高齢者らの苦境を取り上げた。記事全文と写真を削除した第4部「子どもたちのSOS」の二本を除き、連載記事は三十五本に上る。
 取材班は名古屋本社社会部のベテラン記者をキャップに各部ごとに四〜五人の記者で構成。社会部員のほか、地方の若手記者一〜二人をメンバーに入れている。
 第4部は貧困家庭を支援するNPOや現役の教職員などへの取材を通じ、生活苦から子どもの学校教育に不安を抱える家族を探して話を聞いた。記事全文と写真を削除した連載記事二本は、いずれも地方から取材班に加わった男性記者(29)が取材と執筆を担当した。

◆チェックの機会生かせず
写真の自作自演

 【概要】
 五月十七日付の名古屋本社版朝刊の連載一回目「10歳 パンを売り歩く」は、母親がパンの移動販売で生計を立てる家庭の話。写真は、仕事を手伝う少年の後ろ姿だったが、実際の販売現場ではない場所での撮影を、取材班の男性記者(29)がカメラマンに指示していた。少年が「『パンを買ってください』とお願いしながら、知らない人が住むマンションを訪ね歩く」のキャプション(説明)付きで掲載された。
 撮影当日、少年がパンを訪問販売する場面の撮影は無理だと判明。少年に関係者宅の前に立ってもらい、記者自らが中から玄関ドアを開けたシーンをカメラマンに撮らせた。
 男性記者は「写真提出の締め切りが迫り、まずいなと思いながらやってしまった」と理由を話した。
 こうした撮影の経緯は、十七日付朝刊の印刷開始後、取材班全員で深夜の会食中に話題となった。初めて事実を知ったキャップは「やらせだ」として男性記者を叱責(しっせき)するとともに、後日に掲載される東京、北陸、東海の三本社向けには、写真やキャプションを差し替える措置を取った。
 【なぜ素通りしたのか】
 取材班に専任のカメラマンはいなかった。取材記者が撮影日を設定し、当日に仕事の予定がないカメラマンがその都度、駆り出されることが多く、記者との意思疎通を欠く面があった。
 今回の写真を担当したカメラマンは、ドアのノブに手を掛けているのが男性記者だと知っていたが、「イメージ写真のつもりで撮っていた」と説明。撮影の場面をセッティングした記者に疑問を投げかけることはなかった。場面を変えて何種類かのカットを撮影し、取材班あてに送信した後はノータッチだった。
 掲載する写真の選択やキャプション作成は、男性記者ら取材班メンバーだけで進められた。撮影の状況を知っているカメラマンが参加しなかったことで、チェックする機会が失われた。
 また、取材班メンバーの一人は紙面掲載前に、男性記者から「写真に自分の手が写っている」と聞かされていたが「補助的なところを手伝ったのだろう。キャップも当然知っているはず」と問題視せず、キャップに報告しなかった。

◆「記事の不採用怖かった」
原稿の捏造

 【概要】
 五月十九日付朝刊の連載三回目「病父 絵の具800円重く」の見出しが付けられた記事には、事実でない内容があった。家族から指摘を受けて確認したのは三カ所。
 一つは、病気の父親を持つ中学三年の少女の家庭では、冷蔵庫に学校教材費の未払い請求書が張られているとして「絵の具 800円」「彫刻刀 800円」と架空の品目や金額を書いた。
 二つ目は、「中二の終わりごろから両親に『塾に行きたい』と繰り返すようになった」の記述で、実際には母親の方から「塾に行かなくていいの」と尋ね、少女が断っていた。
 三つ目の「バスケ部の合宿代一万円が払えず、みんなと同じ旅館に泊まるのをあきらめて、近くにある親類の家から練習に参加したこともある」は、実際には合宿代は支払われており、親類宅での宿泊は合宿入りの前夜だった。
 男性記者は三カ所の捏造(ねつぞう)について「貧しくて大変な状態だというエピソードが足りないと思い、想像して話をつくった」と説明した。
 その背景の一つに、取材班の上司から原稿執筆について「描写は具体的に」「ディテール(細部)が大事」との方針を示されていたことを挙げた。
 エピソード不足は、肝心の少女に直接取材していないことも要因だった。
 記者は「悪いことをしている」と感じつつ、「自分が取材している五件の家庭が、連載で一本も採用されなかったらと思うと怖くなった。その怖さが、悪いことを思いとどまる気持ちを上回った」とも話した。実際には五件のうち三件が採用された。
 【なぜ見抜けなかったのか】
 写真の問題が判明した五月十七日、キャップらは男性記者が書いた原稿も再チェックする必要があると考え、当初は二回目で使う予定だった「病父 絵の具800円重く」の一日繰り延べを決めた。
 キャップは取材班を前に「連載には『頑張ってください』というファクスなどが多数寄せられている。そんな読者を裏切ることをしてはならない」とあらためて注意を喚起。男性記者に原稿の事実関係を一つ一つ確認し、記者は「問題はない」と答えた。
 名古屋本社の寺本政司社会部長は「男性記者が地方からの応援者で、普段の仕事ぶりや性格をよく知らないことに加え、本人から『ない』と言われれば信用するしかなかった」と話す。
 しかし、写真の自作自演という例のない問題が明らかになった直後だけに、別の記者に再取材させるといった一歩踏み込んだ対応を取れなかったのか。

◆家族の抗議、上司に伝わらず
おわび掲載の遅れ

 名古屋本社版に掲載された連載一回目の写真・キャプションと、三回目の捏造があった記事の削除は、十月十二日付朝刊の「おわび」までなされなかった。
 写真の問題発覚直後にキャップから関係者に謝罪するよう指示された男性記者は、関係者に会う約束をとる電話で「いい記事をありがとう。写真は問題にしていない」旨を先方から伝えられたと報告した。実際には電話をかけていなかった。「約束したプライバシーが守られていない」と家族や支援者から抗議を受けた際も取材班に伝えず、対応が遅れる一因となった。
 キャップは六月、読者からの支援品を持って少年の母親と面会し、謝罪。八月下旬には、連載三回目の少女の家族に支援品を送ろうとしたところ、「うその記事に対して贈られた物は受け取れない。説明した内容が貧困を強調するエピソードに改ざんされている」と抗議を受け、初めて原稿の捏造が分かった。
 十月までに四回、うち一回は男性記者を同行して少女宅を訪問し、謝罪。事実でない記述を聞き取って確認し、「おわび」という形で紙面化する方針などを伝えた。この間、先方の仕事の都合や、より正確を期してほしいという意向で掲載時期が延びていった。
 写真の問題発覚後から男性記者が精神的に不安定になり、詳しく事実関係を聞くことができない事情もあった。

                      *

 引用は以上である。
 この検証記事や当該記事をもとに、ルポルタージュとしてどんな問題があったのかを整理してみる。

【問題点】
1、ルポの主人公を1度も取材していない
 検証記事によれば、問題の記者は、記事の主人公である中学3年生の女子を取材しないまま、家族から聞いた話だけで記事を書いたことになる。ルポルタージュである限り、ここが最大の問題点となる。
 連載記事「子どもたちのSOS」は「子どもたちが叫ぶSOSに耳を澄ませる」として開始されていた。これでは「耳を澄ませる」ことにならないではないか。
 そもそも、記者はなぜ中学3年生の女子を直接取材しなかったのか。検証記事でも、その理由が触れられていない。

2、取材不足
 記者は社内での取り調べに対して「貧しくて大変な状態だというエピソードが足りないと思い、想像して話をつくった」と説明したのだという。検証記事は「エピソード不足は、肝心の少女に直接取材していないことも要因だった」とした。
 「エピソードが足りないと思った」のなら、捏造することを考える前になぜもっと取材しなかったのか。なぜ少女に直接会えるまで取材しなかったのか。
 取材相手は、貧困家庭を支援するNPOなどから紹介されたと思われる。子ども本人から話が聞けなかったのなら、なぜNPOなどから「子ども本人に話が聞ける別の家族」を紹介してもらわなかったのか。

3、記者がついた「2種類のウソ」
 記者は「約束したプライバシーが守られていない」と家族や支援者から抗議を受けたことを、取材班に報告しなかった。さらには、写真の問題発覚直後に取材班キャップから、関係者に謝罪するよう指示された記者は、取材相手から「いい記事をありがとう。写真は問題にしていない」と電話で言われたと、ウソの報告をしていた。記者は、実際には関係者に電話していなかった。
 こうしたウソは、いずれ必ずバレることになるウソの類いである。にもかかわらず、なぜ記者はウソをついたのか。このウソが、中日新聞社として問題の発生を把握する機会を遅らせ、さらには問題への対処を決定的に遅らせた。
 記事でウソを書いたことと、仕事仲間である社内の同僚にウソをついたことは、同根なのか。すなわち、この記者の資質や素養に関わる話なのか。それとも社の側の問題なのか。
 そして、この記者にとって記事の捏造は、これが初めてのことなのか。

4、「捏造」は当の記者をも傷つける
 検証記事は「写真の問題発覚後から男性記者が精神的に不安定になり、詳しく事実関係を聞くことができない事情もあった」とした。
 記者が精神的に不安定になったのは、ウソを隠していたからに他ならない。記事の捏造がバレたら社からどんな処分を受けるのだろうと、不安に苛まれていたことが容易に想像できる。取材相手から抗議が来ても握りつぶしていたという事実からも、取材相手が被った迷惑を考え、取材相手を守ろうとしたことで精神的に追い詰められたとは考えにくい。記者にとっての優先順位は、自身の保身が第一で、取材相手は二の次だったようだ。
 記者は、登場人物を匿名にする記事であれば多少のウソも許されるし、誤魔化せると考えていたのではないか。でなければ、捏造という手段はそもそも取らないし、思いつく手段でもない。
 それに、検証記事にある「精神的に不安定」「記者の心のケア」とは、具体的にどういうことなのか。捏造記事問題を解明する上で不可欠な情報だが、検証記事にこれ以上のディティールを書き込むことは「個人情報」として憚られることなのか。
 問題の捏造記事や検証記事も含め、私たち報道記者は「書いてあること」でしか勝負できない。書かれていない「行間」から察してほしいとの弁解は、記事で傷つけられた取材相手や読者には通用しない。書いて説明できないことならば、検証記事でも中途半端に触れるべきではなかったのではないか。
 検証記事によれば、問題の記者は「一連の連載を新聞協会賞に応募することや、出版予定だと聞くうちに『大変なところへ来た』と思うようになった」のだという。「大変なところへ来た」の「ところ」とは、いったい何のことか。自分が配属された「子どもたちのSOS」取材班が「大変なところ」なのか。それとも、ウソを書いた記事が新聞協会賞に応募されてしまったり、本になってしまうかもしれないことが「大変なところ」=「今さらウソをついていたと申し開きできない事態に発展してしまった」ということなのか。

5、そして「読者」も傷つける
 多くの連載の中に、たった一本のウソ記事が紛れ込んだことで、「新貧困物語」のすべてが信用を無くしてしまうことになった。
 「この記者一人だけに問題があった」としなければ、他の記者が書いた記事まで疑われることになる。ただし編集局内には、記事の捏造や、記者の説明にウソがあることを見抜く仕組みが用意されていなかった。そのため、他の記事にウソが紛れていたとしてもチェックできないだろう――と多くの読者は疑うことになる。
 問題を起こした記者には厳しい言い方になるが、「誰もが疑わないウソを書けるスキル」はあるようだ。実際、一般人よりははるかに貧困問題に詳しい「反貧困ネットワーク」が「貧困ジャーナリズム賞」を授与してしまうほど、作文としてはよくできていた。ただし、新聞記者には不要な才能である。
 ウソを書かれた少女宛てにも、読者から支援が寄せられたのだという。記事にあった「絵の具」や「彫刻刀」は架空の話だったわけであるが、万が一、読者から送られた品物に「絵の具」や「彫刻刀」か、それに類する物があったとすれば、悲劇的でさえある。読者が良かれと思ってした支援が、少女やその家族の役に立たないどころか、捏造されたことに対する怒りの火に油を注ぐものでしかなくなるからだ。
 検証記事によれば、少女やその家族は「うその記事に対して贈られた物は受け取れない」と怒ったのだそうだが、贈られたのが「物」だったというところが大変気になるところだ。結局、この贈り物はその後、中日新聞社でどういう扱いを受けたのだろう。捨てられてしまったのだろうか。それとも、贈り主である読者に返還されたのだろうか。
 いずれにせよ、支援を買って出た読者もまた、記事と記者にだまされ、裏切られた被害者≠ノなってしまいそうだ。
 こうした読者からの支援がなければ、記事が捏造だったことは今なお明らかになっていなかった可能性が高い。実際のところ、読者からのリアクションが記事の捏造を暴く端緒となっていたからだ。

                      *

 ルポの書き手や作り手がこの事件から学べるところは多い。言ってしまえば、この事件自体がルポの対象ともなりえる。
 繰り返しになるが、今回の事件から浮かび上がってきた「ルポを書くにあたっての注意点」を、以下に挙げておく。

@ルポに書く事実は取材現場にしかない。「エピソードが足りない」時、捏造に走ったところで何も解決しない。「エピソードが足り」るまで、さらに取材を重ねればいい。
A検証記事には「貧困家庭を支援するNPOや現役の教職員などへの取材を通じ、生活苦から子どもの学校教育に不安を抱える家族を探して話を聞いた」とある。今回の事件では、ルポの主人公である中学3年生の女子生徒に話が聞けなかったことが捏造の発端となっていた。もし当事者から話が聞けないのなら、「貧困家庭を支援するNPOや現役の教職員」などに相談し、話をしてくれる別の家族を紹介してもらうほかない。
B記事内容の捏造は、それを書いた本人を苦しめるだけでなく、取材相手や協力者、所属している会社、さらには読者にまで迷惑をかけることは、今回の事件からも明らかだ。改めて言うまでもなく、事実を綴るルポにおいて「創作」や「捏造」は禁じ手である。

 この当たり前のことをしている限り、「捏造」との非難を浴びることもないし、精神的に追い詰められることもないし、上司からの聴取にウソをつく必要もないし、会社から処分を受けることもない。
 記念すべき第1回目の「今月のルポ研究」では、実のところ、世の記者たちにとって「いいお手本」となるような秀作ルポを取り上げたいと考えていた。残念ながら、反面教師としてのルポを取り上げることになってしまったが、これほどの大問題を避けて通るわけにもいくまいと考え、あえて果敢に取り上げることとした。

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●緊急提言●
『朝日ジャーナル』に掲載された明石執筆の記事「フクシマ取材で試される 報道機関の存在理由」より、3つの「緊急提言」を抜粋の上、掲載いたします。
 【緊急提言その1】
 
原発の半径30キロ圏内からの避難民や子どもを中心に、福島県民一人ひとりの被曝量を評価し、将来にわたっての健康管理を行なわなければならない。また、福島県民の一人ひとりに積算線量計を持たせる。
 彼らは、広島や長崎で被爆した被災者と同様の「ヒバクシャ」である。将来ガンなどを発病したとしても、現状のままではフクシマ事故による被曝との因果関係を何ら証明できない恐れがある。今後の健康管理対策として、30キロ圏内の避難民や子ども一人ひとりに対し、ホールボディカウンターを使って体内に吸飲した放射能量とその種類の評価、そして外部被曝量の評価を行なうことは、大変重要な意味がある。同時に、今後の追跡調査が容易にできるよう、医療費が無料になる「被曝者手帳」の発行も検討されてしかるべきだ。また、原子炉が冷温停止するまでの長期間にわたり放射能が放出され続けるのであるから、県民一人ひとりに積算線量計を持たせることも重要である。
 【緊急提言その2】
 モニタリングポストの再設置。
 福島県内のモニタリングポストの中には地震や津波により、破壊されて使用不能となったままのものが多い。しかも、福島第一原発からは今なお放射能が漏れ続けている。漏洩をすぐさま止められないのであれば、せめて東北圏から関東圏にかけての広範囲の地域に、環境中の放射線量を測る「モニタリングポスト」をきめ細かく設置し、リアルタイムで誰でも何時でも見られるよう測定データを公開すべきである。さらに、農水産物に付着した放射能量をきめ細かく測定し、農水産物の出荷基準に対する評価を行ない、その結果を速やかに公表する。放射能汚染による「実害」と、噂にすぎない「風評被害」を明確に判別できるようにすることこそが、風評被害の発生を防ぐ唯一の手立てだからだ。
 【緊急提言その3】
20キロ圏内で発生した汚染瓦礫等の処分ルールを早急に定める。
  原子力発電所建物内で発生した廃棄物は、ドラム缶詰めにして青森県六ヶ所村の施設まで海上輸送し、埋設処分をしている。だが、高濃度の放射能汚染に晒されている瓦礫の処分に関するルールは未だ提示されていない。それこそ「想定外」の話だからだ。ルールもないまま汚染瓦礫の撤去が始まれば、放射能汚染はそれこそ日本中に広まっていきかねない。どのような形で処分するのか、政治がその道筋を早急に示す必要がある。

女川原発取材の際、明石が撮影しました写真の何点かを公開いたします。

 ●女川原発近くに建つ民家。津波はこの家の高さを上回ったとみられる。


●津波で破壊された民家。後ろに見えるのは女川原発の排気塔

 ●原発を襲った津波の威力がわかる…

 ●地震の揺れで被災した女川原発2号機(左)と3号機(右)。

 ●横倒しになった「暖房用の重油タンク」

 ●「ブローアウト・パネル」が壊れた3号機のタービン建屋。

 ●地震で外壁にヒビが入った2号機のタービン建屋。

 5月7日、写真家の豊田直巳氏とともに女川原発を訪れたところ、2号機と3号機のタービン建屋の外壁に、鉄骨の足場が組まれていました。また、原 発の岸壁では重油タンクが横倒しになっておりました。
 東北電力に確認しましたところ、横倒しになった重油タンクは「暖房用の重油タンク」で、非常用電源とは直接関係ない施設。一方、タービン建屋外壁の足場は「地震の揺れで、タービン建屋のブローアウト・パネルが開いてしまった」とのことでした。それを閉めた上で足場が組まれているそうです。
 この「ブローアウト・パネル」は本来、非常時に建屋内の圧力が高まった際に圧力を逃がすためにパカッ≠ニ開くのだそうで、それが地震の揺れで 開いてしまったといいます。同様の設備は原子炉建屋にも装備されています。
 2号機の足場は、地震の揺れで壁にヒビが入り、それを補修するための足場でした。「貫通するほどのヒビではない」と、東北電力では説明していま す。

 女川原発3号機は平成14年1月、同原発2号機は平成7年7月に稼働を開始しています。「ブローアウト・パネル」が東京電力・福島第1原発にも装備されていれば水素爆発は避けられたのか、昭和の時代に作られた原発は古すぎて装備され ていなかったのか等、東京電力に確認しましたところ、第1原発1〜3号のいずれにも「ブローアウト・パネル」は付いていたものの、パネルが開くほ どの圧力の上昇がないまま水素が充満し、地震の揺れでもパネルは開かず、水素爆発に至った模様です。ただ、2号機の「ブローアウト・パネル」に関 しては、3号機の水素爆発の際の衝撃でパネルが開き、水素爆発を免れたと東電では見ているとのことでした。
文・写真  明石昇二郎
アールダン観測日記
▼ジャーナリスト・佐久間淳子氏が3月12日以降、福島第一原発から西に45キロ離れた地点の放射線観測データをツイッターで「つぶやき」続けた中間報告を掲載します。
 マスコミや電力会社、政府の発表とは異なる、市民レベルの放射線データ観測活動です。

「アールダン」観測日記 第1信
佐久間 淳子

 2011年3月12日朝、福島県田村郡三春町の実家から、「暫く振りでR-DANの登場となった。現在のところ平常値だ。」と父のメールが来た。退役した理系の中学教師。1月に80歳になった。
ほんとう、しばらくぶりに聞く名前だ「アールダン」。
R-DANは普及型の放射線検知器。1986年、チェルノブイリ原発が事故を起こした後、日本にもその放射能塵が到達していることが分かったこともあって、自分で放射線を測定してそれを共有しようという民間の緩いネットワークが発足。彼らが採用したものだ。名前は「Radiation Disaster Alert Network」の略称。
https://www.r-dan.net/r-dan/

 素朴な検知器で、ガイガーミュラー管を放射線が通過するのを検知する機能を利用して、「ポコッ」と音を出して知らせる仕掛けになっている。それが1分間に何回起きるか、何事もないときの頻度を把握しておいて、そいつが増加したら「なにかがこのへんに飛んで来てる」と判断するという仕組みになっている。その頻度を示すのがcpm値。
 三春の場合はだいたい20前後で推移することがわかっている。そして、その頻度が30を越えると、アラームが鳴るように設定してある。
 ちなみに放射線には何種類かあるのだが、ガンマ線は薄いガラスくらいは通過するので、家の中にでも検知できる。もしこの数値が居間で上がったとしたら、それはガンマ線を出す放射能塵が家の外を通っている(風に吹かれてさらに移動していく。もしくは雨が降って屋根に付着した)ということがわかる。そんなときは外に出ない、とか浴びてしまったらきれいな水でよく洗い落とす、とかいう対策を取って、放射性物質を体内に取り込まないように自己防衛の役に立てよう、というものだ。
 父はそれを持っていたのだ。
 私自身も週刊誌記者として、1986年には原発事故の遠隔地での被曝問題を取り扱い、少しは知識を囓っている。25年を経て、その時の知識や機材がこんな形で日の目を見るとは思わなかった。
 11日午後の大地震、大津波、海岸に沿って並んだ原発。東京の揺れが収まるとすぐに実家の安否を確認しつつも、原発が無傷でむわけがないと思った。果たして、原子炉の注水機能が滞っているという報道。
 実家は福島第一原発の西側約49km。太平洋から陸側に風が吹けば、阿武隈山地を越えて何かが到達する可能性が高い。いつ、なにが起きるか分からないが、起きるときには、R-DANはそれを検知するかもしれない。

 だから父は「暫くぶりに」と言ったわけだ。
 ボケ防止を兼ねて老人が測定しているだけならいいが、今回は釘付けだ。いずれかの段階では「もういいから逃げてくれ」と言うことになるだろう、と思いながら。

 以後、久しぶりの測定なので数値のチェックを繰り返してはメールをくれるようになった。

 そうこうしているうちに、12日午後、福島第一原発1号機の建屋が吹っ飛んだ。
 あとから分かるのだが、避難中で屋外にいた人達が被曝している
 父は母屋の密閉度を高めつつ、物置においてあった食料を母屋に運び込んだと書いてきた。屋内退避の準備だ。
 原発災害に詳しい知人からもらった「換気扇や暖房機の排気口が見逃されやすい」というアドバイスをメールしながら励ますしかない。

 こちらでできるのは、他にR-DANを用いて測定している人を探すことだ。近隣の測定値が分かれば、面的に情報が増える。R-DANを用いた測定者ネットワークにメールを送り、同時に測定値をTweetすることにした。

 この間、実家のR-DANはほぼ通常の値で推移している。
 一度、12日夜8時頃、20前後で推移していた数値が突然431に上がり、その後500と1千数百の間を振れた後に液晶表示も消えたのだが、夕方から戸外に出した際に電源を電池に切り替えたため、測定値が不安定になった可能性もある。
 前後して10kmほど西側在住の人もR-DANで測定を続けているとわかり、そちらのお宅では屋内でも屋外でも通常の値が出ているとのことなので、なんらかの誤作動とも考えられる。いずれにしろ比較できる数値が近隣にあることで、慌てずにはすんだ。

 もちろん、福島第一原発3号機の水素爆発で飛んで来た塵が三春に到達して、たまたまR−DANに付着したという可能性もある。安全を期して13日昼まで外に出ずに待ち、塵を拭き取ってACアダプターを取りつけたところ、再び通常の範囲内の数値を示し始めた。14日19時現在、極端な数値は現れていない。

 14日には3号機も水素爆発を起こした。2号機も水位が下がっている。
 「なにか」はこれからだ。

 R-DANの測定値は父が送ってくる限り、これからもTweetする。
 測定地点が増えることを期待している。

 願わくば、このまま人が測定し続けられる故郷であってほしい。

「アールダン」観測日記 第2信

 14日夜、何かが起こるのは「これからだ」と書いて第一回を終えたが、日が昇ってみたらそれはもう始まっていた。
 午前06時10分に福島第一原発2号機で爆発音があったと、NHKが伝えている。
 最新情報をインターネットでチェックしているところに明石氏からの電話。「風が東京に向かってますよ」とひと言。すでに茨城県のモニタリングポストで数値が上がっているという。「この事実を公表してパニックを誘発するのを恐れてますが」と断りつつも、「ルポ研のトップページに掲載します」とのこと。

 R-DANが「嵐」を捉えた

 三春で父も、測定の間隔を狭めて「なにか」の到来をキャッチしようとしている。
朝8時台にはほぼ通常の値だったR-DANの数値が、やや高くなってきたとメールが来たのは正午過ぎだ。13時半をまわって数値が3桁になり、どんどん上昇する。14:15には1000cpmを記録し、さらに上がって14時20分にはとうとう1151cpmを記録した。
 母に数値の記録を任せ、父はメールに打ち込むことに専念しているらしい。
血圧が上がっちゃうよ、と思っていると14:37から10分間の測定値を送ってきたメールに「高止まりだと良いんだが。一休みする」と添え書きがある。確かに14:45に数値が1000cpmを切っている。見えない「嵐」の到来を両親は確かに捉えたようだ。娘の私はそれを10分遅れで知らされた。
 だが、嵐はなかなか去っていかない。16時をまわって数値が300前後に落ちたとメールが来たが、夜になっても数値は200台の後半で推移している。夕方から霧雨になったという。空中を漂っている放射能を持った塵は、雨や雪にまじって地上に降りる。あまりいい話ではない。明けて6日朝にはうっすらと雪が積もっているという。cpm値は200前後をうろついている。
 詳しい知人からの助言を得て「雪かきはするな。外を歩いたあとは雪をきっちり玄関外で落とせ」などの対策を父にメールした。
 数値はその後行きつ戻りつしながら、10日以上経った3月27日時点でようやく60cpm台に下がってきた。→

 空気の次は水、そして野菜も牛乳も

 三春の測定値がようやく100cpmを切った頃、こんどは水道水の測定値が上がっているという報道が出てきた。単位がここでBq/kg に変わるが、cpmが飛んで来た放射線の本数だけなのに対して、放射能の量を示す単位だ。
 各社とも22日厚生労働省が発表したデータを報じ、三春町の東隣、田村市は防災無線で市民に伝えた。→田村市のHP

 三春の数値はわからないが、隣の田村市が高いのだから三春だって高いだろう。
 父は22日最後の測定結果に「100ベクレルの風呂に入って寝ます」と添え書きしてきた。
 ただ、厚生労働省が22日に発表したデータを丁寧に見ると、田村市で100Bq/kg を越える高い数値が出たのは17日から19日にかけてである。田村市民にとって警告が欲しかったのはここだ。だがそんなことはそのときには知らされていない。その後24日までは3桁を切った数字が並んでいる。
 三春町役場は23日になって、21日採取の水道水は77ベクレルだったと安全宣言をホームページに出している。WHOの基準値を知っている身としては虚ろな宣言だし、田村市の状況からいっておそらくは18日から19日にかけての水道水はもっと数値が高かった可能性があるが、それは調査データが公表されていないからわからない。

 行政の測定がかならずしも適正におこなわれていないことも分かってきた。
 郡山市の公式ページから「福島県内各地方環境放射能測定値(暫定値)推移」を見て欲しい、→郡山市HP

 3月24日19:00の数値が3.84μSv/hと、その1時間前の1.43μSv/hから倍以上に増えている。
 これは右端の備考に「3月24日19:00から郡山合同庁舎3階(屋外)→郡山合同庁舎」とあるように、測定器の設置場所を変えたために測定値が大幅に変わり、連続性を見ることができなくなったことを示している。また、これほど違うのであれば13日13:00から発表し続けた数値が他の測定地点と比較のしようがない。住民にとっては外を歩き回るとはすなわち地上のことだ。そこの数値は聞かされていたよりもはるかに高かったことになる。はたして原市長みずからがブログで説明することになった。→郡山市長のブログ

 そして、水道水の測定は千葉の専門機関に委託しているとある。郡山から千葉までいちいちサンプルを送っているということだろうか? これでは後付けでしか測定値はわからないことになる。
原子力安全委員会が3月23日に発表した「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の試算について」も間が抜けている。同じ日(アメリカ時間22日)に米軍機などが福島第一原発周辺を上空から測定した結果が報道されたが、予測は結果よりも先に知らせなければ意味がない。→米エネルギー省のHP
内閣府のHP内にあるプレス発表PDF

 いずれにしろ行政に頼っていては今現在の状況を掴みにくいことも分かってきた。
R-DANを手にすることで少なくとも家の外に何ものかがやって来ていることだけはその場で感知してくれる。それをみんなでやったらどうなるか。
15日の「嵐」は、各地のR-DAN達をたたき起こす結果にもなった。
朝からTwitterは「アラームが鳴りっぱなしだ」というTweet が飛び交っていた。
それだけならざわめきに過ぎなかったかもしれない。
だが、ざわめきが地図の上で福島第一原発を包囲していることが見えるようになったのだ。
https://bit.ly/R-DAN
「R-DAN 市民放射線測定数値マッピングhttps://bit.ly/r-dan 協力:EarthDay- Tokyo」ができあがるまでの経緯を次回は報告することにしよう。

「アールダン」観測日記 第3信 

 6月5日早朝、福島県三春町の実家にある放射線検知器R-DANが小さな変化を捉えた。ここ数日は40cpmを切っていて、前夜10:00頃にも38.6cpmだったのに、5日04:41から10分間の平均値が46.1cpmと出た。数cpmの揺れ幅はあるものなのだが、8cpmの差は過去一カ月を振り返ってみても、ない。約50分後の05:30には46.9cpm。05:41には40.0cpm、5:53に42.5と変化している。父はこの段階で「緊急ではないが」とメールを寄こした。
 4日22:03から5日04:41の間は測定していないから、早朝確認できた8cpm程度の「高さ」が襲来の終わりかけの値なのか、微妙な高まりに過ぎなかったのか、そこはわからない。
 だが、「なにかが飛んで来たらしい」とみていいだろう。

 さっそくTweetして、同様の変化を捉えた人を探したが、具体的にどこでどのくらいの数値が、という情報は得られなかった。そのかわり、栃木県茂木町で測定している大島さんから「今日は高い」とのコメント付きでR-DANネットに数値が寄せられた。5月は18から19強で落ち着いていたのに、4日朝9:40と5日11:00の測定値が、21.2〜21.3cpmと高めではある。伊那市からも、「やや高めかな。」のコメント付きでR-DANの数値が届いた。
 北軽井沢の別荘で週末を過ごした知人からも、土曜の夜から日曜の昼にかけて、0.07μSv/h程度上昇したとのメールが返ってきた。

 この変化について、福島第一原発1号機の蒸気だろうかと想像する声もあるし、ある知人は、「アレバ社製の浄化システム試運転が4日から始まっているから、何らかの影響があったという可能性は否定できない。水に溶けていた気体状物質の遊離など。」 とコメントをくれた。
 原因がなにかはわからないが、発生源は福島第一原発だろう。

 自宅や職場、あるいはいつも行く場所といった定位置で変化を測定し続けると、こんな変化を捉えることもできる。地道な作業だけれども、個人が協力して福島第一原発を「監視する」こともできる。

 4月半ば以降はほぼ横ばいで、いささか飽きてきていたが、ちょうどいいタイミングで、「測定し続けるのは無駄ではない」と思い直すきっかけになった。
佐久間 淳子


2010年9月17日
「ルポ研」からのお知らせ
〜「クマ(ツキノワグマ)警報」発令〜
 
明日から「シルバーウィーク」連休に突入です。
 ところで、ちょうど一年前の昨年9月、「シルバーウィーク初日」で賑わう北アルプス・乗鞍岳のバスターミナルにツキノワグマが現れ、居合わせた観光客らを襲って10人に重軽傷を負わせるという、日本ツキノワグマ史上に残る「大事件」が起きております。
 ツキノワグマに襲われたことによるケガはかなり凄まじいもので、指の切断などは序の口なのだそうです。頭蓋骨の陥没や、頭皮を剥がされるケース、そして耳をちぎられることもあります。中には眼球をえぐり取られた方さえおります。ツキノワグマは「顔」を重点的に襲ってくるのです。
 近年はヘリコプターを使った救急医療の発達により、それほどのダメージを負っても一命を取り留めることも多いのですが、「顔」を破壊された被害者の中には、社会復帰ができず、心にまで痛手を負わされている方も決して少なくないと聞きます。
 今年は、クマのエサとなる木の実をはじめとした「山の幸」の凶作が予想され、すでに全国各地でツキノワグマの目撃情報が多数報告されており、東北地方では死者も出ております。山菜採りに出かけ、被害に遭うケースや、登山中に襲われるケースもあるそうです。攻撃性の高い若い熊が増えているのではないか――との見方をしている専門家もおります。
 クマが冬眠する11月頃までが、注意を要する期間です。
 「ルポ研」ではすでにこの「ツキノワグマ」問題の取材に着手しております。なるべく早いうちに取材結果を雑誌等で発表する予定ですが、一足早く、当サイトで「クマ(ツキノワグマ)警報」を発令します。
 ツキノワグマは、何も山奥にだけ生息しているわけではありません。人里近くまでやってくることや、人家に侵入してきて襲うケースもあります。今年に入ってからだけでも、青森県、岩手県、秋田県、宮城県、山形県、福島県、群馬県、埼玉県、山梨県、神奈川県、静岡県、新潟県、長野県、岐阜県、富山県、福井県、石川県、滋賀県、京都府、和歌山県、兵庫県、鳥取県、島根県、広島県、山口県などで目撃され、2年前には東京都でも人を襲う事件が発生しています。

 添付写真は「こんなものを見つけたら、近くにクマがいます」というサインです。
 (撮影:澤井俊彦)

 
1)路上に散乱する枝。
 
2)手すりや柵への攻撃跡。
 
3)ヒノキやスギの樹皮を剥ぐ
「クマはぎ」。
 
4)糞塊。道路の中央など、目立つ所にしていく習性があります。
 
5)若いクマには、人や車を恐れない個体がいます。
 
6)クマと出会ったら、いち早くこちらの
存在を知らせてあげましょう。

 今年は、サルやイノシシが人を襲ったとのニュースが目につきますが、これからの季節は「ツキノワグマ」にもご注意下さい。
 ●連絡先 i.n.f.o★★★★rupoken.com (スパム対策のため★★★★を@に変えてください)

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